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気仙沼に行った。 [東日本大震災]

父の実家は宮城気仙沼市。

小さい頃、親戚のおじさんの船で釣りに連れて行ってもらったりしました。
毎年、秋になるとおいしいサンマが送られてきます。

そんなおじさんの家は、津波で流されました。
震災当時の苦労話をたくさん聞かせてもらいました。
当日の、放浪から~アパートを見つけるまでのくだりは本当に大変だったと思います。
そんな思いをして見つけたアパートに、父は最低限の家電布団を届けました。
これだって、仕入れから届ける燃料の捻出まで、恐ろしく苦労したそうです。

帰りに父が港の方を案内してくれました。
その後、流された家があった場所を通りました。
テレビでよく見る、家の基礎だけが残った景色を目の当たりにしました。
陸にあげられた巨大な船がすぐそばにありました。

僕も妻もただ見つめるだけでした。

海の方に行ってみた。 [東日本大震災]

仕事で多賀城へ。

というか、海沿いの工場へ実習。
震災後、海側へ行くのは初めて。
なんというか、海の方に行くのは避けていたのだ・・・

宿泊先のホテルから、工場へ向かうバスの窓から見える景色は意外と普通。
と思っていると、海に近ずくにつれ、一階部分がひどく壊れている家や、潰れて錆びている車、そしてがれきの山が視界に入ってくる。

一週間お世話になった工場も、1階にある生産ラインはすべて水につかり、部品の交換やオーバーホールで復活させたとのこと。
工場内の光景は震災前と全く変わらない。
自分の頭よりはるか上にある津波の跡さえなければ、水没したなどとはだれも思わないであろう・・・

研修の最終日、国分町で懇親会。
数軒目にキャバクラに流れたわけですが、お店はガラガラ・・・
とても金曜の夜とは思えない。
女の子に聞いても、震災復興で国分町がにぎわってたのは去年の年末位までとのこと。
帰りに乗ったタクシーの運転手さんも同じようなこと言ってた。

復興特需なんて数年しか持たないだろうと思っていたが、国分町に限ってはもう特需も終わりつつあるようだ・・・
タクシーの運転手さんは、長期で仕事する人は現場近くに会社がアパート等の宿泊場所を用意することが多くなってきたので、平日は国分町まで来る人が減ったって言ってたけど・・・


ちょっと甘かった・・・ [東日本大震災]

昨日、仙台の友達が、うちの子に会いに来てくれた。

その友達は、会社が津波に襲われ、数日建物に閉じ込められていた。
というのは、当時連絡を取り合っていた時に聞いてはいたが・・・

今回、かなりヘビーな話を色々と聞いた。
当時、毎日のようにテレビを見ていて、大変なことが起こっていると分かっているつもりだったが、
所詮は報道できる範囲でしていただけなんだなあと痛感・・・

家に帰ると家族がいるというのは、それだけで幸せなんだなあと改めて感じた。


【東日本大震災】結局は「協力会社社員」なのか・・・ [東日本大震災]

福島第一原発の推移に一喜一憂する日々の中、現地で作業している方が被爆した。

報道によると、「協力会社」の人らしい。

「協力会社」というのはいわゆる「下請け」
何次受けか知らないが、東電に対する立場はきわめて弱い(と、推測される)

あくまでも自分の推測だが、結局のところ東電の正社員は本当に危険なところにはいないのではないか?
東電の作業服を身につけた「協力会社の社員」がポンプの点検や電源ケーブルの敷設を行っているのでは?

別に東電の社員が一緒に陣頭指揮をしているのならいいのだが、ちょっと気になった・・・




【東日本大震災】避難していない人の環境 [東日本大震災]

避難所の生活ばかりが注目されているが、内陸部の人は家は無事なケースが多い。

当然だが、そういう人のところに食糧の配給はない。
給水車も避難所が優先だろう。

電気ガス水道がなく、食料は家にあるもののみ。
まあ、家があるだけマシといえばそうかもしれないが・・・

うちの母親は近所づきあいが密なので、こういうときでも食べ物を融通しあったり、
不便な生活を楽しむ余裕すら感じられる。
雪を集めてきて溶かし、それを沸かして頭を洗ったと聞いたときは、(この人は大丈夫だな)と思った。

ただ、そういう人ばかりではない訳で、津波が来た自治体では、
家がある人は避難所に入れないところもあると聞いた。
家には食料が無く、避難所にも入れないというのはかなりきついようだ。

これだけ被害が広範囲だと、すべての人にものが行き渡るのは相当時間がかかるだろう・・・

【東日本大震災】原発事故に思う [東日本大震災]

そもそも、原発が本当に安全だと思ってた人なんているのだろうか・・・

安全でない物を作った以上、事故があったときは運命を共にする覚悟がないと駄目だ。
その覚悟が出来ないなら作らないことだ。

あたしはそんな覚悟出来ないので、作らない方がいいと思う。
電力が足りないなら、足りないなりの暮らしを送る。

作ってしまったあとで、「こんなことになるなんて・・・」はないだろ・・・
これが、一番かっこわるい。

もし、また作るなら、ディズニーランドの隣やお台場に作るくらいの覚悟が必要。

【東日本大震災】佐川に仙台まで配達を頼んでみた。 [東日本大震災]

18日に佐川が、宮城県への配達を受け付けはじめた。

各戸への配達は行わず、営業所止めで、到着までの時間は一週間ほどとのこと。

あたしは、仕事で疲れて家で倒れていたが、嫁が方々回ってカップラーメンや水を集めてきてくれた。
んで19日の朝一で出したのだが、今日20日には届いていた。

ネットで最寄りの営業所に着いていることを確認して、実家に電話で知らせる。
一週間で届くなら、どんどん物を送ろうと思ったが・・・

荷物を取りに行った父親から連絡があり、営業所付近は大渋滞で、ぜんぜん近づけなかったらしい・・・
あたしと同じ事を考えた人がたくさんいたのだろう・・・
でも、まさか受け取り渋滞が起きるとは・・・
いろんな事が想定外だな・・・

父親は、あした自転車で再チャレンジすると言っていた。
余計な手間をかけさせてしまったか・・・

【東日本大震災】なんと無駄な電気の多いことか [東日本大震災]

電力不足が騒がれはじめたとき、
帰宅すると嫁によってありとあらゆるコンセントが抜かれていた・・・

我が家は、あたしの実家が被災しているので、嫁も本気で協力モード。
待機電力のない物までコンセントが抜かれていたのはご愛敬だが、本当にありがたい。

最初は、調べ物する度に無線LANのルーターので電源入れたりするの面倒だなあと思ったが、
慣れれば問題ないし、使っていない時間の方が圧倒的に多い。

べつに便座が冷たくても、便座カバーかけとけば十分

オーディオや、パソコンのコンセント抜くのがどんだけ効果あるかは知らないが(っていうかほとんど無いだろ・・・)
大した効果がないからやらないのではなく、もったいないから抜いておくと言う気持ちが大事。

ちなみに、羽田空港は計画停電初日でも、館内の照明はすべてついていた。(職員エリアは暗かった)
翌日から、すこし間引きはじめたが、節電に協力しない方がマイナスになることが分からなかったのか?

いま、夜は街が暗い。
コンビニも照明を間引いている。
あれを見ると、普段が明るすぎなのは一目瞭然。

これを機に、すこし色々なことが見直されればと思う。

【東日本大震災】友達と親戚のこと [東日本大震災]

あたしゃ、連絡を取っている友達は、宮城にはそんなにいない。

一人は、多賀城の会社で被災。
津波で孤立していたとのこと。
水が引いた後に、利府まで歩いて無事だった。

あたしと同じく上京してる友達が、親と連絡がつかないとのこと。
実家が近所なので、母親に様子を見に行ってもらい、無事を確認。

会社の先輩の奥さんの実家が、連絡が取れないとのこと。
こちらも、近所なので母親に行ってもらう。
不在で無事が確認できなかったが、公民館に避難していたことが後に判明。

気仙沼おばさんは家が流された。
それも、一昨日やっと連絡が取れて判明。
現在は、親戚のうちに身を寄せているとのこと。
ここからの要請で、うちの父親が布団と電子レンジを購入したが、渡す手段がない・・・

会社の人の実家も深刻で、3時間並んでスナック菓子一袋しか買えず、これを4人で分けているとのこと・・・
仙台市内らしいが、まだ電気もガスも水道も復旧していないらしい。
家が流されてない人は、避難所にも行けないらしく、どーにもならないようだ・・・
仕事休んで助けに行くと言っていた。


【東日本大震災】実家の両親のこと [東日本大震災]

実家は宮城県黒川郡。

地震直後にメールで無事は確認していた。

auは電話がつながるのが早かった。
翌12日くらいから、実家とは普通に連絡が取れた。

電気とガスと水道が止まっているとのこと。
幸いだったのは、灯油の備蓄が十分だったこと。
カセットコンロのボンベも予備があったこと。
お米が十分にあったこと。

石油ストーブがあればお湯も沸くし煮物も出来る。
カセットコンロがあれば、鍋や炒め物だって出来る。
そのうえお米があるなら、そんなに心配はない。

問題は水だ。
地震の直後は水が出たらしく、それで安心した母親は水を溜めなかったらしい・・・
あまい、あますぎる・・・宮城県沖地震をくぐり抜けたとは思えない甘さだ・・・

まあ、給水車が比較的早くに来たらしく、一人2Lはもらえてたらしい。
まあ、飲料料理に使ったらすぐ無くなるが、無いのとは天と地の差だ。

電気が3日後くらいには復旧し、今は給水も一人18Lになったとのこと。
風呂は無理でも、頭は洗えると喜んでいた。

なんか、ご近所と協力して、それなりに楽しくやってるらしい。

できれば、落ち着くまでこっちに連れてきたいが・・・


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